| 普段は一滴の水もない山頂のくぼみに、7年目ごとに突然水が湧きだし、小さな池となる。しかも数日のうちにどこへともなく水が引き、あとはもとの茅原になってします。これが遠州七不思議のひとつとして数えられている”幻の池”。しかも神秘な雰囲気をたたえる池はの水は、不思議なまでに澄み渡り、木漏れ日が差し込むと鏡のように光り輝く清らかさなのである。伝説によれば、佐倉が池の竜神が信州諏訪湖に行く途中、池の平で休息していくのだとも、諏訪明神が休息するものだとも言われている。また、この池の縁にあるところに、石で作られた「おかわ地蔵」が建っている。時は永禄12年(1569年)、高根城主民部少輔貞益が信州遠山土佐守と、中部水巻城主奥山美濃守の連合軍に攻められ、武運なく敗北し、城は兵火により焼かれ落城。おかわ御前当歳の子を抱き、三歳になる子を背負い、城下へ出たものの敵兵の探索が厳しく、まともな道を歩くことができない。そこで城のすぐ下を流れている水窪川へ飛び込んだ。おかわ御前は幾度も押し流れそうになりながら、川の中頃まで進んだもののそこからは身ひとつでも危険なのに2人の子供を連れてなどとても渡れるものではなかった。そこで断腸の思いで、抱いていた赤子を淵に投げ捨て、水に浸りながら必死で対岸にたどり着く。この赤子を投げ捨てた淵は、今も赤子淵(あかんぶち)と呼ばれている。しゃにむに山の中に駆け込み池の平らまでたどりつくと、疲れきって一歩も歩けない。そこで子供が疲れと恐怖のために泣き出してしまったためついに発見され、振り下す白刃の下におかわ御前の血しぶきは、あたりの芽を真っ赤に染めて散った。それにより、この辺りの芽はいまだに赤い斑点を残しているといわれている。峠からは、高根城がすぐ足の下に見える。おかわ御前の供養碑は、別の方向に向けておいてもいつの間にか必ず高根城の方を向いているという。もしかしたら、池の平の湧く水は泣き続けているおかわ御前の無念の涙が溜まりに溜まって、7年に一度溢れ出てくるかもしれない。それとも、竜神はおかわ御前の化身であろうか。そんな思いにかけられてしまうような悲劇な話である。 |