6月14日〜15日

みさくぼは毎年6月14日〜15日に唯一花火を大々的にやっても良い日と子供のころ親から教わりました。少ない小遣いを全部花火につぎ込んだものです。今年も町中に花火の音が響きわたります。

(写真をクリックすると大きくなります)

           ぎおんのいわれ
 祇園まつりは現在かなり全国的な広がりをもって行われているが、なんといっても有名なのは、京都八坂神社の祇園まつりで、夏まつりの代表といわれている。この祇園まつりは、京都東山にまつられている八坂神社の例祭として、毎年七月十七日の山鉾巡幸、神輿渡御を中心に行われるまつりである。その起源は、加茂の河原での「神輿洗いの行事」が中心で、きわめて素朴な水辺での「祓い」の祭事であった。平安時代の初期、今から一一二八年前、即ち貞観十一年(八六九)疫病退散のため「鉾」を立てて、神輿の渡御も派手になり、中世以降は「山車」や「はやし」などもつき、風流の「練り物」まで登場するようになったといわれている。
 八坂神社の祭神は「須佐之男命」とされており、古くからインド渡来の牛頭天王と習合しており、愛知県津島市向島の津島神社で毎年七月第四土曜日と日曜日に、津島川まつりとして行われるまつりも、やはり京都八坂神社の祇園まつりと同じで、「祓い」が目的で行われている。特に川端の町では、かがり火を焚き花火を上げ花を供える。これは桓武天皇の疫病を鎮める花供養という祭事であるが、京都の八坂神社の祇園まつりの影響を受けて行われているものと考えられる。
 さて、この水窪の地で毎年行われている祇園まつりは、いつ頃どのようにして行われ、今日に伝承されているものであろうか。その歴史的背景を明確に把握することは困難であるが、九州小倉の八坂神社の祇園太鼓をはじめ、全国各地で行われている祇園まつり等を重ね合わせて考えるとき、中世における祇園信仰の流布と地方への広がりの中でこの水窪の地にも伝承されてきたのであろう。また、全国各地における祇園まつりは、水神信仰と深く結びついたまつりで「天王さん」と呼ばれているところもある。
 水窪町内にはそれぞれの地区に、数多くの神社、寺院、お堂が存在するが、祇園まつりにかかわる八坂神社、牛頭天王、津島神社は次の地区にまつられている。町内各地に祀られている牛頭神社や八坂神社そして津島神社への素朴な信仰、また盆行事の念仏踊りや手踊りの詞章の中に歌いこまれ伝承されてきた中に時の移ろいはあっても、祇園まつりとのかかわりを見出すことが可能である。
 前述したように、津島市の津島神社の天王まつりとしての津島川まつりには、かがり火を焚き花火をあげ花を供える。かがり火にせよ、燈明にせよ、また松明にせよ、その目的は神仏に供える燈火の意味を含んでいる。その燈火がまつりの余興と化し、光、色、音を楽しむ花火としてまつりに使用されるようになったのは、いつ頃からであろうか。特に水窪で六月十四日、十五日の二日間、祇園と稱して花火をあげるのは、やはり京都の八坂神社の祇園まつりや、愛知県津島神社の津島川まつりの流れをくみ、付け祭と化した当町における年中行事の一つであるとみることができよう。
 いずれにせよ、この山峡の町水窪で幾世代を越えて行われてきた祇園まつりは、この町に定着し、やがてこの町の風土と共に精神的風土を形成する中で、年中行事として位置づき、特色ある民俗文化の形態を表していると思うのである。
 しかし、一方、この水窪の祇園まつりにあげられる花火も年とともに変化し、近年花火の特性である光、色、音のうち、より音響が高く激しい「爆竹」に、若い人たちの興味、関心が高まりつつあるように思われるが、これもまた祇園まつりを通してみた時代の流れの一面なのであろうか。