文化/歴史
意昌庵に祀られている愛染明王は、磐田国分寺とゆかりがあると伝えられ、像高一寸八分と小さい象であるが古色蒼然として、司も桃山時代の面影を残している。愛染明王は全国的にも数少ないと云われ、染め物家、水商売の人の信仰を集めているが、愛染成就を祈願する若者も多くある。祭は4月に行われる。
平野の坂上家で祀るお孝姫様は、夫婦の信仰を集めている。坂上家に生まれ明治初期婦人の病で亡くなったお孝さんが、同じ病で悩む人の夢枕にたち、私を祀ってくれたら癒してあげると告げたことからお孝姫様として祀られた。霊験あらたかで今も祈願の人が絶えない。命日の9月3日が祭りの人なっている。
春野町山村開発センターの入り口の山に祀って在り、享保7年(1723年)秋葉の7世任宗和堂によって勧請された、吉祥天と並ぶ仏教の二大女神で音楽、芸能、財宝の神として根強い信仰を集めている。
里原の横峰にあるいぼとり地蔵は、霊験たらたかでお詣りする人が絶えない。近くに法印塔も1基あって修 験者との関係も思わせる。石に溜った水をつけると驚く程いぼが癒ると云われ、祈願した人の供えた幟が新しく立てられている。
寛永時代始めのころ(1623年〜1651年)木下家の先祖の1人に信仰深い老婆がおり、「こうせん」(麦の引き粉)がのどにつまり窒息死した。 今際の際に「わしを地蔵様として祀ってくれたら末代まで、のどの病に苦しむ人を助けよう」と言い残した。 以来300年余当家において供養している。特に子供の咳には、良く効くといわれ、願い事が叶い全快した折には、お礼に「よだれかけ」を奉納する習わしとなっている。
昔、ある人が、身体全体に腫物ができ、あれこれと治療を加えたが、治らず困った末に、このお宮に生きた魚に願掛して平癒を願ったところ、神のお恵みあってか、快方に向い全治したという。そこでこのお宮には病気平癒の神として遠くまで知られ、信仰厚く参拝者も多く、氏子の人達が池を奉納したと伝えられている。
中世の山城として、多くの遺構を留め、文献も多く残されている。元弘3年(133年)新田義貞の鎌倉功めに参じた伊豆天野郷の周防の守経顕が、恩賞として、この地の地頭となった。南北朝時代、南朝方に属し戦国時代は今川氏に従属したが、のち武田方の先方として豪勇を馳せた。天正4年(1576年)徳川勢によって落城するまで270年間天野氏の寄城であった。
曹洞宗北遠3ヶ寺の一つとして有名。寺記によると主尊の聖観音は養老2年行基作。茅舎に安置し村民の尊崇を受け、雲遊の僧交来多く、隋雲時と称された。時代を経て曹洞宗永平九世石叟派に属した。明応2年犬居城主天野安芸守檀頭となり瑞雲院と改める。天正4年兵火で焼失。慶長年間家康によって現在地に再建される。
和泉平の山頂(668m)に在る。広さ4ヘクタール、周囲500mの池で満々と水をたたえ神秘感を漂わせている。池の畔に新宮神社があり古い杉、桧の木が立ち並んでおり、池には大蛇にまつわる伝説が伝えられる。春から秋にかけて、鯉釣り客も訪れ年々賑いをみせている。
―県指定建造物(気多中学校構内) 明治22年、王子製紙が日本で始めて木材パルプ創製に成功したところで、現在その建物が一棟残されている。赤レンガ造りで当時としては洋風建築として土地の建築業者の苦心のあとがうかがえる。現在春野町歴史民族資料館となっており、王子製紙の資料も保存されている。尚、敷地には木材パルプ発祥の地の記念碑も建立されている。
春野町豊岡の勝坂神楽は、八幡神社と清水神社の秋の祭典毎年10月29日前後の日曜日に奉納される。由来記によると400年近い伝統をもち広く知られている。清水神社から八幡神社へ向う道中舞、八幡神社での(ぬさ舞、ほろ舞)となっており、亀面を被り大きな男根を背負った若衆を先頭に手振り面白く道中を舞うのも珍しい。この氏神は子授け、子育ての神として遠近より参拝者も多い。
堀之内、犬居に伝わる民俗行事で、洪水にまつわる竜神信仰である。洪水で村の堤防が決壊寸前氏神である諏訪の祭神が大蛇となって堤防に横たわり村を守ったとの言伝えでこの行事が行われるようになった。毎年5月5日、川原で柳、ススキ、レンゲ、竹などで作った竜を若者が担ぎ、町内を練り歩く様は壮観で、テレビ等でもすでに紹介されている。
犬居城の支城、樽山城の麓を流れる渓流が三つの滝をつくり、一つの滝は23.6m、二つの滝27m、三つの滝14.5mとなっており、夏なお涼しく水飛をあげている、古くから雨乞いの伝説があり遠近の農民が祈願に訪れたと云う。また藤切の娘のキチ、マツの悲しい言い伝えもあって二人の姫を祀る小祀もある。樽山城と併せて訪れる人も多くなっている。
春埜山大光寺(海抜800m)の境内に在る。目通り14m、樹高43m、根張り31m、稀にみる巨木である。養老2年行基菩薩開山、梵天、帝釈天、閻魔尊天を自彫し、ここに安置した記念に自ら植えたとされ樹齢1200年以上といわれる。なお大光寺と共に祀られる太白坊大権現は漁業に携る人の信仰厚く、浜より参詣に訪れる人も多い。
秋葉と山住を結ぶ尾根のほぼ中間に位置し標高1352m。古くから修験道で栄え、秋葉の奥之院とも称された。勝坂不動としての名高く、明治27年真言宗に転派し山城国宇治郡より戒光院を迎えた。大正15年豊岡山路の現在地に移転してが、元屋敷から山頂には住時の荒行を偲ぶ険しい岩場(行場)がそのままの形を残している。
―町指定天然記念物(川上) 春野町と中川根町の境界に近く通称ビンカ峠と呼ばれるところに在る。学名イヌツゲ。樹齢およそ500年といわれる老木で、目通り1.4m、樹6.84m、最近地蔵も安置され気多峡と大井川峡を一望でき、また岩嶽山や竜馬嶽も望めるところとあってハイカー達の訪れも多い。
古くから仙境と言われる京丸は、多くの謎や伝説を秘めており、なかでも京丸牡丹の咲くと伝える牡丹谷は最も神秘な語り草である。藤原家の在る京丸の里から真向かいに望むことができ、大正3年に京丸牡丹が咲いたのを京丸の人達が見たと言う。今では京丸まで車で行けるようになったが牡丹谷は昔のまま謎を秘めている。
―町指定有形文化財 秋葉寺(三尺坊)の仏像七体は中央に聖観音、脇侍に十一面観音と将軍地蔵それに四天王を配している。寺伝では聖観音は行基作となっている。四天王はいづれも烏天狗の形想で年代、仏師等不群だが、等身大木造で迫力があり中世から近世にかけての作と思われる。七体の仏像は秋葉信仰の歴史を語りかけてくる貴重な存在である。
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